ブランデンブルク門は二つある。一つはポッダムにあり、フリードリッヒ大王が7年戦争の戦勝記念に古代ローマの凱旋門風に建てていて、こちらの方が古い。もう一つはベルリンのブランデンブルク門でポッダムの門をモデルに1788年から着工し、3年の歳月をかけ、1791年に完成した。高さ26メートル、幅65.5メートル,奥行き11メートルである。以後ドイツの過酷な運命を共にすることになる。当初この凱旋門はプロイセン王国の象徴であった。1971年ドイツの統一がなると統一ドイツの門になり、第三帝国下で帝都ベルリンの顔であり、第二次大戦後東西冷戦で分断されたドイツの象徴とされた。
ブランデンブルク門の上に勝利の女神像が四頭の馬に曳かせた古代ギリシャ式の戦車に乗っている。クワドリガはギリシャ語で「四頭立て二輪戦車を意味する。 同時代を代表とする彫刻家シャドウJohann Gottfried Schadow(1764-1850)によって制作される。
このクワドリガがブランデンブルク門上から消えたことがある。初め1806年プロイセンがナポレオンと戦い、敗れベルリンが占領されナポレオンによって戦勝記念として奪い取られてしまう。チュイルリー宮のカルーゼル凱旋門の上に乗せるつもりだったのである。ナポレオン戦争終結後クワドリガはベルリンに戻り、元の場所に据えられた。平和の女神は勝利の女神になり、女神の持つ杖に民族の象徴として鉄十字紋章が付けられる。
二度目は今大戦で徹底的に破壊され、残ったのは馬の首一つだけ。復元をしたのは西ドイツ側で幸いのことに型が残っていたので復元は無事に進んだが東ドイツとソ連より横槍が入った。杖の鉄十字の紋章はナチスを連想するので好ましくないということでこの部分は削られている。それから45年後ドイツの再統一がなってブランデンブルク門は大幅な修復がなされ、女神像もオリジナルの姿に戻った。
註)カルーゼル凱旋門 1805年のナポレオンの遠征勝利を記念して、1806年から約3年の歳月を掛けて造られた。ブランデンブルク門のクワドリガは大きさが合わず、ヴェネツィアから奪った4頭の金色の馬の彫刻を乗せたが後に奪い返される。現在では2輪戦車を馳せる女神の像が乗っている。ナポレオンはカルーゼル凱旋門は小さいということでシャンゼリゼ大通りに現在の凱旋門が建てさせるが生存中には完成しなかった。