ドイツ切手を集め始めた人はやがてクラシック切手の一群にトゥルン・ウント・タクシスと言う不思議な切手があることに気がつくでしょう。
中世、教皇庁、教会間の連絡通達のため、文書を運ぶ飛脚などが存在していました。商業においても商取引で通信が欠かせないことは同様です。腐敗しやすい肉類を運ぶ肉屋は、早い馬車や馬を使用していたので、「肉屋郵便」とよばれる信書の運搬も受け持っていました。こうした各地の飛脚や色々な郵便を統合し、16世紀初めに一般に利用される郵便事業を起こしたのはタクシス家で、神聖ローマ皇帝から、郵便事業の独占と、これを世襲する権利を与えられ、ベルギー、フランス、ドイツ全域、からイタリアの南端までヨーロッパの各地を結んで、郵便事業を発達させていました。
下は郵便事業を請け負っていた トゥルン・ウント・タクシスが1852年発行した郵便切手です。この時代になると、ドイツ領域でもプロイセン、オーストリアなど国力の大きい国は自国で自前の郵便を始めていますが、まだ小さい国ではトゥルン・ウント・タクシス郵便に頼っていました。通貨も2種類流通していた時代でその地域別にグロッシェン(左)、クロイツァ(右)建てです。
イタリアの出身のトゥルン・ウント・タクシス家に富をもたらしたものは1489年からで、そのきっかけは郵便でした。初めはハプスブルク家のマクシミリアン一世の郵便物を無料で届けることでした。しかし、やがてハプスブルク家に取り入ったタクシス家は皇帝の信任を得て、ハプスブルク家が統治している地域に郵便馬車を走らせます。その郵便システムは駅や厩舎を作り、代え馬を用意し馬車と馬車で手紙をリレーするという当時としては大がかりなもので、スピードもさることながら、郵便物を運ぶ距離も従来の飛脚便よりはるかに大きいものでした。郵便制度はうまく機能していましたが料金は非常に高いものでした。ハプスブルク家の下で貴族や聖職諸侯、外交官、商人の通信も扱う特権を得、郵便の隆盛と共に、タクシス家はますます財を成していき、貴族の位まで手に入れました。
切手は1990年発行のヨーロッパ郵便事業500年を記念し、図案をタクシス郵便の始祖のフランツ・フォン・タッソーの騎馬使者がマクシミリアン皇帝の郵便を運ぶ様を描いたA・デューラーの銅版画から採っている。押されている小型印はマクシミリアン一世である。
1800年ごろから、通信を特定の一族に委ねる事業ではないと郵便事業を国営化する動きが出てきました。ナポレオン、バイエルン政府、メッテルニヒそしてビスマルクも国営化して行きました。トゥルン・ウント・タクシス家は郵便事業を次々と売却、1867年に350年の間順調に活動し大いなる利益を生んだこのビジネスがら手を引くこととなりました。
郵便公爵 トゥルン・ウント・タクシス家はオーストリアにて名門一族として語られています。一族は昔も今もヨーロッパの王家に結びついていますが、1854年オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフとエリーザベト(愛称シシ)の結婚によって、この一家はハプスブルク家とも縁続きとなります。トゥルン・ウント・タクシスの跡取の公子がシシの姉ヘレーネと結婚し、皇帝と義兄弟となったのです。(ヘレーネこそがフランツ・ヨーゼフ妃となるはずでした。ヘレーネとヨーゼフのお見合いの席にシシを連れて来なければ、皇帝ヨーゼフが母の大后妃に妃選びで逆らわなければ。)