ヘルマン巨大像

デトモルト市郊外に立つ高さ54メートルの巨大な「へルマン記念像」の絵葉書です。 絵葉書 ヘルマン巨大像


シーザがガリア(現在のフランスを含むライン川の左岸部)を平定しローマ帝国領とした後、皇帝アウグスト時代にはライン川右岸からエルベ川まで支配すべく軍団が配備されます。ここで異変が生じます。ゲルマンの部族の長アルテミニス(ドイツ名ヘルマン)はローマ軍団を森に誘い込み包囲殲滅しました。「トイトブルクの森の戦い」としてローマの史家タキトゥスの伝えるところです。ローマはこの敗戦でライン川・エルベ川間の地域の征服を断念し、ライン川をローマ帝国とゲルマニアの軍事境界として防衛に専念することになります。アルテミニスはタキトゥスにより「ゲルマニアの解放者」と呼ばれ、古代ゲルマニア時代の英雄となります。17世紀以来ドイツはフランスに国土を侵され、国土は戦場でした。更にナポレオンの台頭によりラインラントはフランスに併合、ドイツ帝国(神聖ローマ帝国)は解体、国土の多くは属領化されます。

ナポレオン戦争を通じて目覚めたドイツの民族意識は民族のアイデンティティを古代ゲルマニアの史実に求めました。プロイセン主導のドイツ帝国ではヘルマンは反ローマの闘士のイメージをフランスに重ね、反フランス的ナショナリズムのシンボルとなっていきます。 1875年に国民的な寄付もあり古戦場とされていたデトモルトにヘルマン巨大像が建立されます。上掲の絵葉書はFeldpostでデトモルト発信ですが、第三帝国時代にはゲルマンの聖地と宣伝されたのでしょうか。 実のところはこの戦場跡の位置ははっきりしていなかったのです。1987年以降オスナブリュック市近郊の小村(トイトブルクの森でデトモルトよりかなり北方)でローマ時代の金銀銅のコイン、武器、工具、人骨が発掘され、調査の結果古戦場跡と確定されたのです。

ドイツ史上重要な発見も今やフランスと共にEUの建設を進めるドイツではナショナリズム的になるのを警戒してか一帯を自然公園とし、歴史研究の場としていると伝えています。


参考1)ローマの遺跡リーメス
ゲルマニアの侵入を監視する防衛線でドナウ河のレーゲンスブルグ上流から、西のライン河のコブレンツまでの築かれた全長約600キロの土塁です。構造は、掘を掘ってその土を土塁として積み上げ、土塁の上には木柵を設け、要所に城塞を作りローマ軍団を駐留させました。
下の小型シートは世界遺産”リメス” 2007年10月発行。

世界遺産”リメス”

参考2)絵葉書「トイトブルクの森」

トイトブルグ

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