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ゲルマニア


在外局・占領地


在外局使用

 在外局とは外国に設置したドイツ郵便局です。目的はドイツ本国と円滑な郵便の送受にありました。郵便局を置いた地域は中国、トルコ、モロッコです。既に19世紀末から開局しており、ゲルマニア登場前の紋章シリーズを使用していました。ゲルマニア切手においても同様に、中国、モロッコは額面と地域表示 China、Marokko加刷、トルコについては通貨表示を加刷したものがあります。在外局に使われた加刷の概要と切手を紹介します。

● 中国

Type1Type2


 1901年、Type1加刷で9種、1905年、Type2加刷で12種と1900年のハンド加刷(加刷文字 Chinaが斜めのもの)の7種を加えてメインナンバーは28種です。ハンド加刷が極めて高価で難物となっています。

中国内に開局していた郵便局は北京、上海、天津、広東、南京、漢口など19局に及びます。



● モロッコ

Type1Type2

 1899年、在外局を初めておき、モロッコのみ地名表記の切手を発行。ゲルマニアは現地通貨表示と地名を併記し加刷したものになっています。第一次大戦の敗戦でドイツ在外局は閉鎖されます。  


● トルコ

Type1Type2

 オスマントルコの地中海沿岸地域にはヨーロッパ列強の多くの在外局が置かれていました。ドイツは1870年初めてコンスタンチノーブルに在外局を開きました。




第一次大戦占領地

 第一次大戦が始まると短期戦であったはずの戦いは数ヶ月で東部戦線、西部戦線で膠着してしまいました。対ロシア戦でのタンネンブルクの勝利とか、一時パリを望む地域まで侵入とかの対フランス初期の軍事的勝利は影が薄くなり、英仏と独墺両陣営の消耗戦になっていました。しかし戦争は4年3ヶ月に及びました。またドイツ軍は東西部戦線だけでなく、バルカンや中東戦線のトルコ軍の支援などで大きな負担を抱えていきます。 ドイツ軍は大戦中、占領下においた地域でゲルマニア切手に地域、額面を加刷した切手を発行しています。



● ベルギー

 1914年8月始めドイツ軍は中立国のベルギー国境を突破しましたが、ベルギー軍はリェージュ要塞などでドイツ側の予想以上に抗戦しました。しかし、ドイツ軍の進撃は止まらず8/20ブルッセル陥落させ、フランス北部への侵攻に向かいました。
占領下に置いたベルギーの地域でドイツひげ文字でベルギーとベルギー通貨を加刷したゲルマニア切手を使用しました。1914年7種、1916年13種です。



● 北フランス

 ベルギーを抜けたドイツ軍は北フランスに侵入し、9月の初めにはパリに指呼の距離まで迫った。フランスの政府はパリよりボルドーに移った。しかし、英仏軍の反撃にドイツ軍は東部戦線に兵力を割いていたために兵力不足で攻勢に出られず後退、フランス領の北部で戦線が膠着。ドイツ軍の短期決戦勝利はなりませんが、連合軍側の勝利も決定的でなく、ドイツ軍はフランス領内に留まり続けました。占領下の北フランスで、ゲルマニア切手にフランス通貨表示を加刷した切手10種発行しています。



● ロシア領ポーランド




 ロシア軍の動員も意外に早く、ロシアの大軍が東プロイセンに侵入して来ました。ドイツ軍は1914年8月末タンネンベルク包囲戦で戦果を上げ9月にはロシア軍を敗走させましたが、一方同盟国オーストリアはガリツィアで大敗を喫していました。ワルシャワにロシア軍は集結しドイツ領ポーランドへの西進、ドイツ軍はロシア領ポーランドへと東進のしのぎ合いがあり、11月にはロシア領ポーランドへドイツ軍が進出しまし。ドイツ・ロシア支配域をわける南北に走る東部戦線が現われました。一進一退の戦線を突破すべく1916年、ドイツ軍が攻撃に出て、8月にワルシャワは陥落し、ロシアはポーランドより撤退しました。ドイツは占領したロシア領ポーランドでゲルマニア切手に「Russisch-Polen」「Gen.-Gouv.Warschau」と加刷した切手(16種)を発行しています。

ポーランド王国は18世紀以後急速に国威が衰えていきました。そのため周囲の列強ロシア、プロイセン、オストリアの間で分割され、1次、2次、3次とポーランドは蚕食され1794年にはポーランド王国は消滅してしまいました。この加刷切手の表示地域はポーランドのロシア領域です。因みにガリツィアはポーランドのオーストリア領域



● ロシア領 バルト三国

 1915年5月から9月までのドイツ軍の攻勢でリトアニア、クールランドの地域を占領しましたが、ドイツ軍の北進はリガで押し戻され、戦線は1917年8月まで停止していました。ロシアで革命が起き帝国は倒れ、革命政権が誕生しドイツと休戦交渉に入りました。1918年3月独露間でブレスト・リトフスク講和条約が成立しました。それによりリトアニア、エストニア、ラトビアを含むバルト地域はドイツの勢力下となりました。
「PostgebietOb.Ost」の文字をゲルマニア切手に加刷した切手を11種発行しています。



● ルーマニア

 ルーマニアはイタリアと同様に連合軍側、同盟軍側のどちらにつくか決めかねていましたが、1917年8月突如同盟側に宣戦布告し参戦しました。しかし前近代的な装備と訓練不足の軍隊で、ドイツ軍に4ヶ月余りで粉砕され全土占領下に置かれます。ゲルマニア切手に「M.V.i.R」とルーマニア通貨表示を加刷し発行しています。(16種)

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