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ゲルマニア


自由市・帰属地域


ドイツ帝国崩壊

 第一次大戦がドイツ敗戦で終了し、ドイツ帝国の崩壊、ワイマール共和国が成立しました。戦後処理ではフランスの国益が前面にで、ラインラントのドイツからの切り離し、エルザス・ロートリンゲンをフランスへ編入、ザールをフランス管理下に置くなどドイツにとって厳しいものとなり、さらに新興のポーランドとベルギーに領土割譲するなどでドイツは戦前の国土の7分の1を失いました。また住民投票によって帰属が決められる地域もありました。戦後の経緯がゲルマニア切手への加刷という形から読み取れるのです。

● バイエルン切手の消滅




 1918年11月の敗戦はドイツ帝国だけでなく、君主制をとっていた諸領邦凡てが共和制になることを意味しました。バイエルンではVolksstaat Bayern、Freistaat Bayernとバイエルン切手、ゲルマニア切手に加刷し対応しました。ゲルマニア加刷は1919.5-9 12種発行

プロイセンに次ぐ大領邦バイエルン王国はドイツ帝国郵便の施行以後も独自の郵便権を認められていましたが、ここに到ってバイエルン郵便も合流します。1920年4月1日以後ドイツ郵政に吸収され、6月30日でバイエルン切手は使用停止となりました。




● ザール



 当初フランスはザールを自国に併合することを画策していました。ザールは炭坑地帯で重要な経済地域でしたので、ドイツの復活を防ぐにはその経済力を奪うことにあったのです。しかし、英米の反対で採掘権を獲得したものの、15年後住民投票で帰属を決めるとなりました。1920年から21年にかけて34種の加刷切手が使用されている。  



● ダンチッヒ





 ベルサイュ条約でドイツは新生国家ポーランドに西プロイセンの多くを譲渡し、いわゆる「ポーランド回廊」が生まれていました。バルト海の港ダンチヒ(現在ポーランドのグダニスク)は戦後ポーランドに帰属することを国民投票で拒み、自由国際都市となりました。このダンチヒをめぐってドイツとポーランドはにらみ合いが続くことになります。(1920年から21年にかけて37種の加刷切手が使用されている。)

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