<英米占領区> |
英米占領地域 |
シュレスヴィッヒ・ホルスタイン、ニーダーザクセン、ノルトライン・ヴェストファーレン、ハンブルク
ヘッセン、バイエルン、ヴェルテンベルク・バーデン、ブレーメン
1947年1月米英両国は管理下の占領地域を統合し、「統合経済地区」としました。
アメリカ版(ワシントン印刷)、イギリス版(ロンドン印刷)、ドイツ版(ブラウンシュヴァイク印刷)とありバラエテイに富みます。
以下の数字図案シリーズ、労働者シリーズの切手は英米占領区だけでなく、ソ連占領区でも発売され、使用されました。
1948年6月には通貨改革が実施され、ライヒマルクは使用禁止になります。それで、このシリーズは使用期限が1948年6月22日でした。(ソ連占領区では7月31日まで有効)。 通貨改革までに発行された切手の中には使用の有効期間が1ヶ月しかなかったものもあります。
基本図案1種で、額面1pf〜1RM 27種発行
図案は4種、額面2pf〜5RMark 21種
通貨改革後の正刷切手として発行されました。図案は5種、切手はミッヘル#73〜100の28種ですが、異図案同一額面、目打ち違い、透かし違い、図案改正、版欠点など非常にバラエティに富んでいます。戦後の混乱期、また冷戦の幕開けとドイツ東西分裂の始まりの時でもありその使用例も時代の複雑さを象徴しています。
切手の図案はドイツの代表的な建物で、上段左からケルン大聖堂、フランクフルト市庁舎、ブランデンブルク門、ミュンヘン聖母教会、下段ホルステン門。
通貨改革後ドイツマルク建ての建物シリーズが発行されるまでの間、労働者シリーズと数字シリーズの切手にラッパマークを帯状または網状に加刷した暫定切手が流通しました。
ポッダム会議でのドイツ占領の共通政策は
非軍事化
独占企業解体
土地改革
非ナチ化
で一致していました。
1946年6月に到ると西側では占領政策の見直しへと方向転回します。当初ドイツは農業主体での再生を図り、国力をベルリンオリンピックの年の1936年の70%と設定されていました。しかし、これは1932年にナチスが台頭した時期に戻すことになり、共産主義に力を与えかねないと英米仏は思い至ったのです。従って工業力は不可欠とされ、企業解体、土地改革など東側に較べて不徹底なものになりました。