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<仏占領区>


仏占領区

 フランス占領区

 仏占領区はザールを除いた3州 バーデン、ラインラント・プファルツ、南ヴェルテンベルク・ホーヘンツォレルンで構成されていました。

フランス占領区では郵便は英米地区よりかなり遅くに再開されます。終戦を睨んで切手などを準備し占領と前後して郵便の再開に着手した米英に比べ、フランス地区は対独戦で疲弊したとは言え、英米とは違い対独に拘った方針を通しました。それは郵便にも表れ、英米地区とは別に仏占領区独自の正刷切手を発行するということでも示されます。

■郵便の再開

1945年7月に公用便が無料扱いで許可され、8月末一般郵便が許可されますが切手はないので、郵便局窓口にて料金を払い収納済みの印を捺して対応していました。
12月21日にフランス占領区共通の紋章シリーズが発行されます。しかし、数量も十分でなく販売には制限が加えられていました。しかもこの切手は窓口時間以外に郵便物を投函する場合にのみの使用とされ、窓口が開いている時間帯は料金収納印で対応するとされていました。切手の必要量が確保されない状態で、郵便は料金収納印での処理が長い期間続きました。


12月21日の普通切手はザールを含んだ占領の各州共通発行です。占領の初期、ラインラント、プファルツ、ヴェルテンベルク、バーデン、ザールの5つの州からなっており、各州の紋章、ゲーテ、シラー、ハイネの肖像を描いた切手で13種発行されています。




■各州正刷切手 1947年

1947年5月から6月にかけて占領の各州に正刷切手が発行されます。このシリーズも発売に制限がされ、一人数枚限りとされ、大口需要向け、商用通信切手は用意されず凡ての必要額面が揃うにはまだ時間を要しました。書留、外国宛などについては切手が出揃うまでは依然と現金前納と収納印での処理が続いていました。1948年の通貨改革の前までにはこの状態も事態は改善されていきました。

<バーデン>

2pf〜1M 13種 有効期限 1948年6月20日

<ラインラント・プファルツ>

2pf〜1M 13種 有効期限 1948年6月20日

<ヴェルテンベルク・ホーエンツォレルン>

2pf〜1M 13種 有効期限 1948年6月20日




■通貨改革 1948年

過去の独仏間の歴史から、フランスのドイツに対する警戒心は根強いものがありました。しかし、冷戦構造が進行する現実にドイツ経済の復興を妨げるわけにはいかず、仏占領区でも米英占領区と調整を計り、1948年西側3地区通貨改革がなされました。通貨改革以前の切手の有効期限は6月20日まででした。

 新通貨対応は仏占領区では英米地区と異なり加刷切手発行、正刷切手の発行なく、切手の刷色変更で対応しました。仏占領区の切手・カバーなど郵趣的には面白い反面、複雑さも多々あります。占領する方も占領される方も、まだ混乱の中にありました。

<バーデン>

2pf〜1DM 44種 有効期限 1949年12月31日。

<ラインラント・プファルツ>

2pf〜1DM 44種 44種 有効期限 1949年12月31日

<ヴェルテンベルク・ホーエンツォレルン>

2pf〜1DM 44種 44種 有効期限 1949年12月31日



1949年5月米英仏の西側地区を母体として西ドイツ「ドイツ連邦共和国」が誕生します。 その間仏地区ではいかにもフランス的なドイツ切手(占領区切手)が発行されていきます。




ザールについてはフランスもドイツも特別な思いと歴史があります。フランスは第二次大戦後ドイツへの脅威から、以後大国ドイツの復活をさせぬためにヴェルサイュ条約以上の制裁、封じ込めの案を持っていました。ライン河以西をドイツから分離する、中央の政府を設けず1871年のドイツ統一以前の領邦国家乱立時代に戻す、ルール工業地帯を国際化しドイツから経済基盤を奪うなどと言う厳しいものでした。

ザールをドイツから分離することを狙って、1947年の選挙で親仏政権を樹立させ、1948年には通貨関税同盟を結び、フランスへ経済的併合しました。ザールは第一次大戦後と同様にドイツから切り離されたのです。
自治共和国として、1957年1月まで独自の切手を発行しました。仏占領区共通使用切手の有効期間は1947年11月でした。

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