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<仏占領区>


ザール

 ザールとは、現在ではドイツのザールランド州を構成し、フランスのロレーヌと国境を接している部分です。
第一次大戦後にも争われた地域です。歴史的にドイツ領ですが、ルイ14世時代の1661年、一部をフランスに併合され、ナポレオン時代はラインラントと同様にフランス領とされていました。ナポレオン失脚後ドイツへ戻り、プロイセン領のライン州へなりました。
石炭埋蔵量が豊富なため19世紀後半には工業地帯として発展して来ました。



 以後ザールは第一次大戦後と第二次大戦後と二度にわたってフランス統治下になる運命に見舞われます。
第一次大戦はドイツの敗北で終結し、フランスはドイツへの復讐とドイツの再起を防ぐためにラインラントをドイツから分離を主張しました。しかし英米に入れられなかったので、次にザールをフランスに併合を要求します。結果としてはヴェルサイユ条約でフランスは賠償としてザール炭坑の所有が確定し、ザールは15年間国際連盟の管理下に置かれ、住民投票にてドイツかフランスへ帰属を決めることとしました。15年後行われた住民投票で90%がドイツとの合併を望んだ結果によりドイツへ返還されました。ザール炭坑も買戻しされました。

1934年8月26日ザール帰属の国民投票宣伝(右2種)、1935年1月16日ザール返還記念(左2種)

 第二次大戦後、歴史的にドイツの弱体化を国策ととしてきたフランスは復讐もあって、最終的ザールをドイツからの分離を画策していました。ザールの併合は英米に反対されて断念しましたが1947年占領地ザールにて親仏的な自治政府を樹立させ、翌48年通貨関税同盟を結び、経済的にフランスへ結び付けました。

 1950年にはザール炭坑を50年間租借し、ザールを自治共和国として独立させる方向で進めていました。ザールに住むドイツ人がドイツへの復帰を望み、1949年にようやく自主国家になったドイツ連邦共和国(西ドイツ)も抗議をし続けましたが、分離は止められないかようでした。

 時代はベルリン封鎖など東よりの脅威が迫り、戦後急速に進む米ソの二極化はフランスに対独への対応を変更せざる得ない状況でもありました。ヨーロッパの再生を探る鍵は西ヨーロッパの諸国連合と独仏の和解が必要と流れが変わっていきます。

 1951年紛争の種である仏独国境の天然資源を国際管理下に置くと言う試みで「欧州石炭鉄鋼共同体」が発足し、紆余曲折を経ながらも独仏に歩み寄りが始まりました。1955年ザールにて住民投票が行われ、ドイツ帰属と投票結果を受け、1956年からザール返還に関する仏独交渉が始まり、1957年1月に西ドイツに復帰しました。ただしフランス・フラン経済圏に組み込まれていたザールを経済面でドイツ経済にリンクさせるには順備・移行期間が必要であり、ドイツ経済と一体化を果たしたのは1959年年7月となりました。

「欧州石炭鉄鋼共同体」が「欧州原子力共同体」、「欧州経済共同体」を経て共同市場を目指す「欧州共同体(EC)」となり、欧州連合(EU)が誕生するまでに到ります。ザールを争点しつつも独仏の相互理解への努力がEUを生むきっかけになったと言えるのでしょう。


ザールの切手はドイツ切手の範囲に入りますが、フランス占領下で発行されているので、デザインがフランス的なものが多くフランス切手を見るがごとしです。特に第二次大戦後の占領ザールはフランスへ統合の狙いもあって意気込みを感じるデザインが目立ちます。以下年代順に切手を配置します。

[Saargebiet 1920-35]

第一次大戦後のフランス占領下のザールではSaargebiet表示のもとに205種発行されました。

1920年1月30日 ゲルマニア切手へSarre加刷

当初ザールではゲルマニア切手、バイエルン切手に加刷したものが発行され、マルク建てで流通しました。マルク表示は1921年2月の建造物シリーズまで続き、有効期限は1921年4月30日までです。

1922年3月1日 フラン表示正刷切手発行

1921年5月1日より通貨がマルクよりフランに切り替わり、既発行の建造物シリーズにフラン表示を加刷し、使用に供しましたが翌年3月1日にはフラン立ての正刷切手が発行されます。


1934年3月15日 慈善切手

普通切手以外の切手は慈善切手で絵画、教会などが題材になっています。


[Saarland 1947-56]

第二次大戦後のザールでは1957年1月のドイツ復帰までに発行された切手は174種です。

1947年1月7日 マルク表示普通切手発行

ザールを他のフランス占領地から分離、専用切手を発行します。2pf-1Mの20種です。有効期限は11月27日まででした。

1948年4月1日 10c-50Fr 13種フラン表示普通切手

1947年11月20日より通貨がフランに変更されました。それに伴い既発行マルク表示切手の20種のうち13種について加刷し使用に供し、翌年4月1日に正刷切手として新切手発行しました。

1949-51年 10c-100Fr 17種フラン表示普通切手

[OPD Saarbrücken 1957-59]

1957年1月にドイツへ復帰しましたが、フランス経済に組み込まれているザールをドイツ経済へ転換させるには時間が必要で、準備が整うまで流通通貨はフランを継続しました。それにより切手は西ドイツのデザインを流用して発行していますが、額面表示はフラン立てです。1959年7月6日に経済的にもドイツと一体になります。この間フラン表示で発行された切手は70種です。

1957年1月-5月  17種フラン表示 ホイス大統領シリーズ

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