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<ドイツの再統一>


 このページでは「ベルリンの壁崩壊」をうけ再統一へ進む東ドイツを郵便面から紹介していきます。

 東西ドイツの再統一は幾多のシナリオを経て達成されます。最終的には東ドイツは行政区を廃止、州制度を復活し、新5州と新都市ベルリンがそれぞれの州の意思で西の連邦に参加する形で統一が達成しました。

西ドイツに吸収合併される形で統一が進んだわけですが、若者の多くが西へ去り、経済も行き詰まった状態では対等の立場での統一は望むべくもありませんでした。



大戦後西側は各州が州政府と議会を持つ連邦制でスタートしたのに比し、東ではスターリン体制化が進めら、戦前より続いていた州制度は中央集権的な県制度に変えられていました。

1952年の行政区分で14の県に再編成されます(ザクセン=アンハルト州ではハレ県とマグデブルク県といった具合に分割)。1990年の選挙をうけ州制度が復活し5つの州となりました。東ベルリンは西ベルリンに統合されます。

自由選挙

ベルリンの壁が崩壊し、多くの人たちが東ドイツを去り、西ドイツへ移住していく中、東側に残った人々は民主化を求めて教会での討議とライプチッヒなどの都市でデモなど反体制運動を展開していきました。

1990年3月18日 東ドイツで初めての自由選挙が行われました。高い投票率で多くの国民が統一を支持した結果となりました。

通貨統合

東からの急激な人口の増加は西ドイツに危機感をもたらします。東西ドイツの経済格差は大きく、当初の予想をはるかに越えるものでしたが、統一へのステップは次へ進みます。。
1990年7月1日 統一の前段階として通貨の統合がなされます。東ドイツの人たちにとってはこの日が実際の統一と言えました。10東マルク=1西マルクという割合でした。       (註1)

再統一

  

1990年10月3日 半世紀分断されていた東西ドイツの統一がなりました。東西ドイツのドイツ人の悲願は達成され、ドイツの戦後は終了しました。

郵便の統合

この統一の過程で東ドイツの郵便はどう変化していったでしょうか。また西ドイツでは?
ドイツ地域では三つの郵便が機能していました。西ドイツ、東ドイツ、西ベルリンです。これら3地域の郵便の動向を見ていきましょう。

東ドイツ
 通貨統合によって唯一の通貨は西ドイツのマルクですから東ドイツマルク建ての切手は無効になります。ただし郵便切手の発行発売は通貨統合の7月1日で終了ですが、ドイツ統一直前の10月2日までは使用が許されていました。なお、郵便の移行をスムーズに進めるために西マルク建ての暫定切手9種を発行しました。下の切手参照 東側にある有名な建造物を題材にしています。国名表示は「DeutschePost」ドイチェポストです。因みに西ドイツ Deutsche Bundespost、東ドイツ Deutsche Demokratische Republik (DDR)です。


西マルク建ての「DeutschePost」切手



西ベルリン
 西ドイツと同一の図案の普通切手の発行など紛らわしいのですが、西ベルリンは西ドイツに属していたわけでなく、法的には戦後以来英米仏の共同管理下にありました。いわば第三番目のドイツでした。戦勝四国の了解のもとに東ベルリンと統合し連邦に参加するのですから、ベルリン地域切手発行の意義を失い、役目を終えることになります。切手は新発行は統一の前日10月2日まで、発売の期限は1990年末で終了、使用限度は1991年末となりました。



西ドイツ
 通貨統合、統一によって使用の制限は生じません。従来より西側ではベルリン切手が通用していました。東の暫定切手「DeutschePost」切手は西マルク建てですので西ドイツ内でも使うことができました。



ドイツ再統一期の郵趣マテリアル
 通貨統合からドイツ再統一を含む時期は郵便の使用例の面で面白いマテリアルが存在します。特に旧東ドイツでは東ドイツ、西ドイツ、西ベルリン、暫定のDeutschePostの切手凡て有効であった期間があり、いわゆる「混貼りカバー」がフィラテリストの人気を集めました。手紙の差出の際、貼り付切手、発信地、差出を下図のような特定の期間に当てはまると種々の興味ある使用例が存在します。

旧東地域差出の混貼りカバー  旧東地域差出しの混貼りカバー(バイリンガル印)

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旧東ドイツでの郵便料金の変化
 社会主義国は一般に生活に密着した公共料金は低く押さえられていました。郵便についても長い間同一料金が維持されてきましたが、再統一で西側料金となります。通貨統合後封書(20g)を例にとると料金20pfが50pf(東地域での移行料金)に値上げとなります。経済格差を考えれば2.5倍の料金は旧東側の人たちにとって大変な値上げとなったわけです。1991年4月1日から移行料金が廃され西ドイツ料金100pfが適用されますから更に2倍の値上げとなりました。

註1

実勢の交換比率は西ドイツの1マルクに対し東の20マルクとも言われているほど価値が下がっていました。正式の交換比率は1対10となっていました。しかし東ドイツの市民は通貨統合の特別措置で年齢などで異なっていましたが6000マルクまでは1対1の交換をうけることができました。

参考です。

 ドイツ切手部会員に東ドイツ切手を熱心に集め、収友を通じて完集した人がいました。部会報に載せたエッセイから東の切手収集の一端が覗えると思います。
  ⇒ドイツ切手と付き合って

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