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二カ国語表示日付印



Bilingual 印

Since 1966


 ドイツにはドイツ語とドイツ語以外の言語で地名を併記した消印 いわゆる二カ国語表示日付印が存在します。旧東ドイツ領内に住む少数民族ソルブ人の居住地域では郵便で使用される消印にドイツ語地名に加えソルブ語地名が併記されています。

旧東ドイツのバイリンガル印

ラウジット地方

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ソルブ人とは

 ラウジット地方(主要都市 Bautzen Cottbus)に古くより住み、かってエルベ川とオーデル川の間を領有していた西スラブ民族の末裔です。ドイツ人は東へ東へとその居住地域を広げ、スラブ人は次第に後退していきます。この地に留まったソルブ人は歴史を通して民族集団と認められていたようです。東西分離後、旧東ドイツ政府はソルブ人とソルブ語の保護保存政策を掲げ少数民族としての存続に歯止めができたかのようでした。しかし、歴史の流れの中でその人口(約6万人)を減少しており、しかもソルブ言語を話す住民も多くは二重言語者であり、民族言語を維持するのは容易でないことが予想されています。

ソルブ人の民族衣装
1991年 切手の日 東ドイツ1971年発行 ソルブ人の民族衣装 娘達の踊り衣装


二カ国語表示日付印とは

 二カ国語表示日付印それ自体は現在ハングル文字が入った中国の消印、スェーデン語を併記したフィンランドの消印などに見られ消印の使用は珍しいことではありません。歴史的にもヨーロッパなどでは多く見られます。領内に少数民族を抱える場合、その民族主義の高揚から二カ国語表示が生まれる要因になります。

 二カ国語表示日付印が生まれたのは何故でしょう。

誕生の背景には
1)旧東ドイツ政府は少数民族の保護、その言語の保存を国是とした。その結果ソルブ人は文化的、政治的自治を得た。
2)従って居住地域では地名表示がドイツ語とソルブ語で併記されるなどの環境にあった。
3)1960年代世界的に郵便番号制が取り入れられ、旧東ドイツにおいても導入され新しい意匠の日付印が必要になった。
 などの要因が働いたのではないでしょうか。

二カ国語表示日付印の登場

1965年頃より郵便番号の入った日付印が始まり、1966年には最初のソルブ語地名を併記した日付印が登場しました。1966年1月に施行された二カ国語表示日付印は Bautzen、Niesky、Grosspostwitz の3局、以後ソルブ人居住地域で順次施行され、東ドイツ時代に100局以上生まれました。

記念小型印でのバイリンガルは日付印より古く、下に示すようなソルブ語が入ったものが1947年には登場しています。バウチェンにある「ソルブ文化団体100年」の記念印です。旧東ドイツ時代の約25年間に200近い記念印が使用されています。


バイリンガル印に到る旧東ドイツの消印の流れ

東西分離後
郵便番号制導入
バイリンガル印
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再統一後のバイリンガル印

1993年7月1日、新日付印が登場しました。
分裂以来別々に郵便番号を振るなど東西ドイツの郵便は西は西、東は東として発達してきました。再統一後約3年をかけた郵便制度の再編成が完了し、消印は郵便番号を5桁で表示した日付印となりました。

二カ国語表示日付印(バイリンガル印)は新日付印に継承されています。
旧東ドイツ時代と異なる点は

  1)郵便番号が4桁から5桁へ

  2)郵便番号の表示位置が上より下段へ

新しい二カ国語表示日付印

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 東西分裂後も西ドイツ、東ドイツは消印の大きさ、デザインなど基本的に分裂前の消印のスタイルを踏襲したようです。東西ドイツの消印は郵便番号の位置が違うだけで、まるで反転させたような印象を受けました。体制の違いはあっても、どちらも再統一を視野に入れていたことを覗えると思うのですが。

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