10月30日思いがけなくドイツ郵便会社の本社ビルへ寄った。ケーニヒスヴィンター (後述) への道すがらであった。まさかボンにDP本社があるとは思ってもみなかった。この日は土曜日で休日、しんとして人気はなかったが半円形総ガラスばりの建物は外からも内郭が良く見えた。
外国の建物によく見られる
通り抜け (パサージュというのだろうか) ができるようになっており、偶々無人の食:堂がよく見えた。セルフサーヴィススタイルのカフェテリア方式になっていて、おいしそうなものだけを好きなだけよそって食べられていいな、と電気の消えた無人の食堂を覗き込みながら妙な食欲をもよおしたものだった。この建造物はコンペで米国の建築家の作品が当選してできたものだが、階段のステップまでガラスずくめでありしばしば人が衝突章るのだそうである.そのためガラスの壁面である旨ウオーニングしたいのだが、件の建築家が芸術作品としてそれを許さないため、そのままだそうである。日本ならばどうであろうか。安全をとるか、芸術家の意図を尊重するか。この建物はフランクフルトならいざしらず、ボンでは際立って目に付く高層建造物である。
ドイツを旅行された方であるいはライン河クルーズをなさった人も多いことだろう。私ぱ経験がなくICE 列車で左岸から右岸を挑めるだけである。しかしそれでも次々に現れる古城、荒城、ローレライの岩壁、中洲のプファルツ城、小説や映画の舞台となった「遠い橋」のレマーゲン鉄橋の橋脚、ニーダーヴァルト記念碑のゲルマニア女神、など車中で仕事中のビジネスマンとは対照的に窓
外を見つめることになる。それがクルージングの船上から繰り広げられるパノラマをゆっくり眺めたらどんなに素晴らしいか、私にはただ想像してみるだけである。それが河岸の上から俯瞰したらこれまた素晴らしいことは想像を侯たない。しかし一般の団体ツアーでは多分無理だろう。古城を改修てシュロス・ホテノにしているところもいくつかあるが、山頂のホテルへあがるににバスでは難しいのかも知れない。当然個人のドライヴ旅行しか思いつかないが、これまた欝陶しいことである。
しかしこれが簡単に行けるところが一箇所ある。ライン右岸にジーベンゲビルゲ(七くの山の連り)と言われる山の連なりがあってそのひとつがドラッヘンフェルス(竜の岩)である。1977年発行のヨーロッパ切手左側の山頂にドラッヘンフェルス城が描かれている。ボンから66番の地下鉄(前稿に記した通りすぐに地上走行らとなる)に乗って20〜30分 Königswinter Fahreという停留所で降りる。ライン河沿いの道路に面していて、ひとつ手前のKönigswinter C.August-Strで降りてもよい。河と反対の山方向へ歩き街中のDBの踏切を横切ると、土産物屋やドイツ式木賃宿が密集してきて観光客が目に付く。日本の温泉地の土産物屋のある雰囲気とどこか共通している。なおも行くと高速道路の高架がありその近くに登山電車の駅がある。ライン河沿いの山に登るには唯一の電車がこれである。歴史はドラッヘンブルク城よりも古く、運転開始は1883年7月15日。ジーゲンゲビルゲで第2のアプト式鉄道である。それより古いペータースブルク鉄道は大事故のため廃止。今日残るアプト式鉄道は他にツークシュピッツ鉄道とヴェルデンシュタイン鉄道のみだという。始点は海抜69m、中間点のドラッフェンブルクが170m、ドラッヘンフェルス廃嘘の下30m弱の展望所が2891n,全区間1.5kmである。これに乗って約15分で終点に着く。客は皆庶民的な親子孫の家族連れが多い。登山電車の中で孫を抱いたおばさんにどこから来たのか、と尋ねられた。といっても私にドイツ語がわからない。そう思っただけである。IchkommeausJapanと答えると、サヨナラ、コンニチワ、アリガトと知っている日本語を並べ立てていた。駅舎とロッヂはお城の少し下。頂上に登ると城とはいえまさに荒城、むかしの光いまいずこ、の雰囲気にふさわしいものであった。この城の最初は1147年にケルン大司教によって築城されたらしい。ライン河畔の荒れ城の多くは太陽王
ルイ14世か、更に後のフランス革命軍の侵略によるものが多いという。あるいはここもそうかも知れない。ここから鳥鰍するラインの眺めはまさに絶景。眺めを何に例とうべきか、訪れたのが晩秋とはいえ本当に素晴らしかった。初夏の気候だと更に良いに違いない。かなたライン上流を眺めれば河が蛇行する
湾曲部に川中島が見え、こなた北方に目を転じると遥かにボンのDP本社ビルの屹立しているのが見えた。この山頂からの眺めがライン全体で一番美しいといわれ、ドイツ最古の自然公園だという。荒城を背景に写真を撮って貰おうと、家族連れにカメラを渡しそこの子供ともども収まった。できた写真を送る
から差し支えなければと住所を教えてもらった。見たらReckhnghausenとある。
Ruh臨stspielの町だね、と言うとどうしてそんなことを知っているのかとびっくりする。有名ではないか、と返事。これすべて英語(私)とドイツ語(相手)の会話である。登山電車の中といいちゃんと話が通じるのが面白い。その反面前稿に記したBruhlの停車場(駅という感じではない)では切符を買うのに20分も要したのだった。意志の疎通とは不思議なものである。歩いてもいいのだが再び電車に乗って下山、麓の終点にひとつ手前Drachenburgで下車:。
ここのお城は無視して、ジークフリートがハフナーという竜を退治したという伝説の場所を訪れた。1913年ワグナー生誕100年を記念して作られたニーベルンゲンザールというユーゲントシュティール様式の小さなホールがある。このホールの裏手にハフナーが潜んでいたという小さな洞穴がある。伝説の場所というにはあまりにも貧弱で見てがっかりだ。世界3大がっかりというのがある
そうだが得てしてそういうものなのだろう。コンクリート製の竜が設置されていた。ニーベルンゲンザールにも入ってみた。ワグナーの楽劇を描いた絵画と音楽が館内を満たしていた。そもそも「ニーベルングの歌」は史実が伝承化した人間ドラマであるのに対して、「ニーベルングの指輪」は神話であり神
様が登場するものだ。伝説の場所は「ニーベルングの歌」の舞台であり、ワグナーものが展示されたり聞かされたりでは、知らない人は誤解することだろう。
なお蛇足を記すと、ボンからケーニヒスヴィンターへ向う電車に乗っているとトンネルか切り通しを抜けた途端、高速道路の中央分離帯を走っているのである。これには驚いたしかしその後どうやって高速道路からはずれ一般道に戻ったか記憶が定かでない。記憶違いでない証拠として66番路線の地図を添付しておく。 ( K .K )