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第一次大戦後のドイツ喪失領


 1914年7月より4年3ヶ月におよんだ第一次大戦はドイツの敗北となり、戦後処理が進められました。ドイツの弱体化と復活阻止を狙うフランスと列強の思惑により戦勝国の強硬姿勢の中で、ドイツはベルサイユ講和条約の調印を余儀なくされました。エルザス・ロレーヌはフランスへ、西プロイセンは海へ出ロを求めるポーランドに割譲されるなど、ドイツの国土は戦勝国によって蚕食されました。さらにライン川の西岸は連合軍に占領され、東岸は非武装地帯とされ、海外植民地は放棄させられ,これも戦勝国の収めることとなりました。歴史を遡れば殖民の形で領土を広げ、戦争の結果獲得した領土にしたものには違いがありませんが、長い歴史の流れでそこは父母の地になっていました。本稿でドイツが第一次大戦後消失した領域とその経緯を1900年初頭より流通していた「ゲルマニア切手」への日付印に表示される地名と併せて掲載します。

アルザス・ロレーヌ オイペン・マルメディ
北シュレスビッヒ 西プロイセン
メーメル

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