第1回 | ヒンデンブルク切手とは |
第2回 | ヒンデンブルク切手の年表 |
第3回 | ヒンデンブルクとはどういう男 |
第4回 | ヒンデンブルク切手登場 |
第5回 | メダル型シリーズ(1) |
第6回 | メダル型シリーズ(2) |
第7回 | メダル型シリーズ 鉤十字透 |
第8回 | メダル型シリーズ 鉤十字透 続き |
第9回 | メダル型シリーズ 鉤十字透 続きの続き |
第10回 | 占領地消印について |
第11回 | オステン加刷 |
第12回 | エルザス・ロートリンゲン加刷 |
第13回 | ルクセンブルク加刷・他 |
次にヒンデンブルクの肖像が切手の上で幅を利かせた時代の事件を年代順に追ってみる。 直接切手に関係のないような話でし、大方の諸兄には、先刻ご承知のことかもしれないのだが、小生にとってこのヒンデンブルク切手を整理するには大いに役立ったから貴重な紙面をお借りして整理させて頂く。 特に後で出てくるのだが、この年表を頭に入れて消印の日付を見ていくとなかなか面白いことがわかっていく。これら一連の中に第三帝国の興亡が浮かび上がってくるのであって、切手そのものより切手の背景を探るという楽しみが捨てがたいのである。 |
1925.2.28 | エーベルト没 ヒンデンブルク、共和国大統領に就任(選挙は4.26) |
1927.9.26 | ヒンデンブルク80歳の誕生日を迎える。記念切手発行 ドイツで現存の人物が切手に登場するのはこれが最初 |
1928.9.1 | 通常切手 大統領シリーズ発行 |
1930.6.30 | 連合軍が1918年以来占領していたラインランドから撤兵 記念切手発行 |
1932.3.13 | ヒンデンブルク、ヒトラーを破って大統領に再選される |
1932.6.16 | ローザンヌ会場でドイツへの賠償額を1320億マルクから20億マルクに引き下げることに成功 |
1932.10.1 | ヒンデンブルクメダルタイプの切手発行 |
1933.1.10 | ヒトラー首相に就任 |
1933.10.14 | ドイツ国際連盟脱退 |
1934.8.2 | ヒンデンブルク死す 追悼の記念切手発行(9.4) |
1934.8.19 | ヒトラー大統領(首相兼務)となる。総統と呼称 |
1935.1.13 | ザール人民投票 圧倒多数でドイツへ復帰 |
1935.3.16 | ドイツ再軍備宣言 |
1936.3.7 | 協定を破ってドイツラインランドへ駐兵 |
1936.8.1 | オーリンピックベルリン大会開催 |
1937.11.25 | 日独伊防共協定成立(7.7 日支事変勃発) |
1938.3.13 | ドイツ、オーストリアを併合 |
1938.9.15 | ミュンヘン会談 ズデーテン併合される(9.29) |
1939.3.15 | チェコスロバキア分割され、ボヘミアはドイツ保護領となる |
1939.3.21 | ポーランドに対し、ダンチヒの割譲を要求 |
1939.8.23 | 独ソ不可侵条約成立(ポーランドの分割密約成立) |
1939.9.1 | ドイツ、ポーランドへ侵入 |
1939.9.3 | 英仏両国、ドイツに対し宣戦布告、第二次大戦始まる |
1939.9.27 | ドイツ軍、ワルシャワ占領 ポーランド分割される |
1939.12.1 | オステン加刷切手ポーランド占領地区で発行開始 |
1940.4.9 | ドイツ軍、ノールウェイ、デンマークに進撃 |
1940.5.10 | ドイツ軍、オランダ、ベルギーに進撃 フランスマジノ線突破される |
1940.5.27 | 英仏軍、ダンケルクより撤退 |
1940.6.22 | フランス講和条約に調印 アルザス・ローレン割譲 |
1940.10.5 | ドイツ軍 ルーマニアに進撃 |
1941.4.6 | ドイツ軍、ユーゴスラビア、ギリシャに進撃 |
1941.6.22 | 独ソ戦始まる |
1941.12.8 | 太平洋戦争はじまる |