ドイツ切手文化歴史の先頭ページへ

ヒンデンブルク切手メモランダム




 第1回  ヒンデンブルク切手とは
 第2回  ヒンデンブルク切手の年表
 第3回  ヒンデンブルクとはどういう男
 第4回  ヒンデンブルク切手登場
 第5回  メダル型シリーズ(1)
 第6回  メダル型シリーズ(2)
 第7回  メダル型シリーズ 鉤十字透
 第8回  メダル型シリーズ 鉤十字透 続き
 第9回  メダル型シリーズ 鉤十字透 続きの続き
 第10回  占領地消印について
 第11回  オステン加刷
 第12回  エルザス・ロートリンゲン加刷
 第13回  ルクセンブルク加刷・他

<第五回>

4.メダル型シリーズ 1932.10.1 (網透)
 1932年3月ヒンデンブルクは大統領に再選された.この頃既にかなりの勢力にまで発展していたナチスはヒトラーを立てて大統領の椅子をねらったが、圧倒的多数でヒンデンブルクが勝ち第2期の大統領をつとめることになる。


 この年1932年6月スイスのローザンヌで会議が行われ、ベルサイュ会議で決められた1320億マルクという天文学的数字の対独賠償額は一気に20億マルクに減額されることになった。ドイツ外交の勝利であった。
こうした国運の隆盛を誇るということか、第2期大統領就任ということか、或は社会民主党(彼らがドイツ帝国を敗戦に導いたのだ)嫌いの大統領の意志か、それはわからないが、ともかく新しいヒンデンブルクは再登場する。
横顔をメダルに彫り込んだこの図案は凸版ながらなかなか見事である。ワイマール共和国の大統領というより、ドイツ帝国の元主といった貫禄を見せている。

 1932年10月1日、4pf、5pf、12pf、15pf、25pf、40pf、50pfの7種が発行されたが、この額面はいずれもこれまでの大統領シリーズのヒンデンブルク図案のものである。
カタログNoは
 ミッヘルで467〜73
 スコットで391〜97である。

 このシリーズは次に述べる新額面・改色のものと共に網透かしの通常切手としては最後のものであり、又発行期間も短い。従って低額面を除けば今では相当な高値となっており、使用済みでも揃えるのに若干の苦労をする。特に15pf(紅色)の使用済みは少ない。カタログ値は28マルクで50pfの使用済みの33マルクより安いがむしろ難しいかもしれない。

 なおこのシリーズの切手帳は発行されていない。(厳密にいえば改色されずに残った5pfだけが使われている) またコイルは4pf、5pf、12pf、25pfにある。

5.メダル型シリーズ(網透)1933年 (額面追加及び改色)


当シリーズは1933年の4月から8月へかけて新額面が発行され一部は改色されて発行された。

 新額面は3pf、6pf、8pf、10pf、20pf、30pf、60pf、80pf、100pfの9種、
 改色は4pf、12pf、15pf、40pf、50pfの5種
の計14種である。ミッヘルで482〜95、スコットで401〜14である。
これらが発行されて前のシリーズのエーベルト図案は完全に不要になった。使用期限は前号で述べたが、エーベルトの方が先にお払い箱になったという形になっている。

ミッヘルによれば発行時期は以下のとおりである。
 1933年4月 3pf 6pf 8pf 12pf
 1933年5月 4pf、10pf、20pf、30pf、60pf
 1933年7月 50pf、80pf、100pf
 1933年8月 15pf、40pf

 8pfには下段の国名のDeutschesのDの画線の切れたもの(所謂open D)が有名である。(専門版には拡大図が掲載されている)
前に述べたように1933年1月にヒトラーは実質的に政権を掌握したのだが、その影響が切手の用紙に現れたというのが面白い、即ち1933年11月に発行されたワグナー記念から鉤十字透が使用されている。つまりこの年の夏ごろから網透は使われなくなったと考えられるので、この追加シリーズの中でも高額面のものの製造数は極めて少ないものと考えられよう。

ページ先頭へ

前ページ 次ページ

トップページへ