第1回 | ヒンデンブルク切手とは |
第2回 | ヒンデンブルク切手の年表 |
第3回 | ヒンデンブルクとはどういう男 |
第4回 | ヒンデンブルク切手登場 |
第5回 | メダル型シリーズ (1) |
第6回 | メダル型シリーズ(2) |
第7回 | メダル型シリーズ 鉤十字透 |
第8回 | メダル型シリーズ 鉤十字透(2) |
第9回 | メダル型シリーズ 鉤十字透 続きの続き |
第10回 | 占領地消印について |
第11回 | オステン加刷 |
第12回 | エルザス・ロートリンゲン加刷 |
第13回 | ルクセンブルク加刷・他 |
ルクセンブルク加刷 1940.10.1 発行 1940年10月1日にはルクセンブルクで加刷切手が発行された。前2者同様地名(Luxemburg)のみの加刷である。 この切手も1941年末限りで廃止され、以後ドイツ本国の切手が使用された。旧ルクセンブルク切手の10月2日までなので2日間の混貼りが存在することになる。カタログ評価は未使用35マルク使用済み60マルク。コイル、切手帖はない。 ルクセンブルクではフラン貨が使われていたので旧切手にフェニヒ、マルク貨を加刷したものが1940年12月5日発行、翌年3月一杯使われた。 エルザス・ロートリンゲン地区と若干の取り扱いに相違があるのはルクセンブルクがかってのドイツ諸邦の一つであったからであろう。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
独ソ戦中の臨時加刷 1941年6月22日独ソ戦が始まり、当初の3ヶ月間独軍は破竹の進撃を続けて占領地を広げた。地区によっては2年間以上占領が続けられた。これらの地区では、ソ連、エストニア、ラトビア、リトアニアの在来切手が加刷された後、ヒトラータイプのドイツ切手に Ostland および Ukraine と加刷されたものが発行された。(詳しく書くとキリがないので簡単に述べるとこういうことになる) その間に少数だがヒンデンブルク加刷の切手が存在する。 A Pleskau(Pskow) 発行 1941.8.9 Pleskau というのはエストニア国境に近いソ連領の都市で8月7日から軍政下に郵便業務が行われた。ヒトラータイプの普通切手が発行された直後のためか、ヒンデンブルクの1フェニヒに縦に Pleska 20kop と加刷された切手が2000枚程発行された。(他に3pf及び4pfに同じ加刷されたものも準備されたが本国の司令ですぐ売捌きを禁止されたという) いずれにしてもそんな事情で発行された一種の臨時切手であり、スペシャリスト以外は手が出ない。勿論カタログ価も高く未使用550マルク、使用済み600マルクである。 B Ljady 発行 1941.8.x Ljady というのはレーニングラドの南西約200Kmにある町であるがそれ以上のことは不明である。ミッヘル専門版の脚注にかなり詳細に書かれているのを判読すると、軍管区内の特別な使送便用に使われたもののようである。これも1フェニヒを台切手として LJADY の文字と60の額面を加刷してある。60カペイカというのは書留料金である。(一般書状は20カペイカ)、この料額のものしか発行されなかったことも、この切手を使用した郵便物がパルチザンの出没した特殊地域での特別郵便用であったことがわかる。発行枚数は僅かに300ということもあって未使用ヒンジ無しで4000マルク、ヒンジ有で1800マルク。使用済み、カバーに到っては評価がない。ミッヘルの脚注によればソ連軍の反攻時に殆ど失われたとしている。 C 無加刷使用 占領地区では1マルク=10ルーブル=1000カペイカの換算でマルク貨(軍票)が使用されたので、この比率で本国切手が通用力を持っていた。大部分は1941年8月以降発行されたヒトラータイプのものであるわけだが、ヒンデンブルク切手も使われた筈である。但しどの位のものが残っており、どのくらいの評価がされているかは、残念ながら知る由もない。 |
敗戦後の抹消切手 1945年5月7日ドイツはボロボロになって降伏した。といっても無血占領に近い所もあって郵便業務の再開は一様ではなかった。敗戦後の切手の発行は、地方印刷、旧切手の加貼リ、代用切手と世界に類のない複雑怪奇な様相を呈している。そして、その中でホンの僅かだがヒンデンブルク切手が最後のご奉公をしている。 A Löbau (Sachsen) 発行 1945.5 この地区は戦場にならなかったせいかなんとヒンデンブルク切手しかもそのEinheitsgeberstreifen(これについては第23号に説明あり)が残っていた。それに白抜きでDの字の入った籠模様の加刷をしたものが発行されている。額面は1pf、3pf、5pfの3種である。かなり残っていたらしく、3種揃で未使用680マルク、使用済み820マルクである。もっとも台切手が安いものであるから偽物もあるらしい。 他に Westerland(Oldenburg 北西20Km)でV字加刷が作られたがイギリス占領軍が記念用に作成したもので使用されたものはないようである。 B Sachsen の抹消切手 前に述べたようにザクセン地方は、戦火に荒されることが比較的少なかったためか、郵便業務の再開は早く1945年5月の中旬から下旬にかけて業務再開の指令が占領軍から出されている。そして手持ちの切手―大部分はヒトラータイプ、一部にヒンデンブルクタイプ―メダルの顔の部分を抹消して(加刷ではない)使うことが出来た。抹消の素材の印材、インキは多種多様である。詳細はミッヘル専門版にゆずるとして、そこにヒンデンブルク切手の例が出ており評価もつけられているっことだけを記すにとどめる。(完) |