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ヒンデンブルク切手メモランダム


<第四回>



 第1回  ヒンデンブルク切手とは
 第2回  ヒンデンブルク切手の年表
 第3回  ヒンデンブルクとはどういう男
 第4回  ヒンデンブルク切手登場
 第5回  メダル型シリーズ (1)
 第6回  メダル型シリーズ(2)
 第7回  メダル型シリーズ 鉤十字透
 第8回  メダル型シリーズ 鉤十字透 続き
 第9回  メダル型シリーズ 鉤十字透 続きの続き
 第10回  占領地消印について
 第11回  オステン加刷
 第12回  エルザス・ロートリンゲン加刷
 第13回  ルクセンブルク加刷・他


今回から切手について書いていく。

1.誕生80年記念 1927.9.26 発行
  カタログ番号 ミッヘルで403〜6、スコットでB19〜22
  額面は8+7、15+15、25+25、50+50(pf)の4種 グラビア印刷


大統領に就任して3年目、彼の得意の絶頂期である。彼がヒトラーを軽蔑していることは前に書いたが、彼が初めてヒトラーに会った後で「ナチス党首といっても大した男ではないな。せいぜい郵政大臣位で俺の切手でもなめてれば良い」といった話がある。

 ヒンデンブルクという男、軍人上がりの割には案外切手の持つ宣伝力を知っていたのかもしれない。ともかくドイツ帝国切手発行以来カイゼルもやらなかった「現存人物の切手への登場」をしたのだから。(この記念には記念葉書も発行されている)
 4種のうち8fと15f(共に封書料金)を組み合わせた切手帳が発行されていること、8fにdunkelgruen,schwarzgruen(後者の方が少ない)ぐらいが特記事項である。
25+25fの発行数が一番少なく40万枚弱ということもあって現在かなり高い。セットで未使用240マルク、使用済100マルクというのは集めるに一寸シンドい。

2.大統領シリーズ 1928〜32年 発行

 通常切手である。それまでのゲーテ以下の著名人シリーズ(1926〜27年 発行)に代わったもの。


1928年9月1日を皮切りに何回かに分けて発行された。初代のエーベルト、二代目のヒンデンブルクとが組み合わされているが図案は極めて簡単で2種類しかない。凸版印刷で切手としては面白いものではない。
 発行当初はヒンデンブルクが5pf、15pf、25pf、40pf、50pf、80pfの6種、エーベルトが3pf、8pf、10pf、20pf、30pf、45pf、60pfの7種だったがその後

1930.2 エーベルト改色 10pf、20pf
1930.9 ヒンデンブルク改色 80pf
1931.2 ヒンデンブルク新額面 4pf
1932.1 エーベルト新額面 6pf
1932.1 ヒンデンブルク 12pf

が追加発行され、結局ヒンデンブルク9種、エーベルト10種、計9種のロングセットとなった。
カタログ収録はスコットが19種を366〜84として一括掲載しているが、ミッヘルは発行時期毎に区分して410〜22、435〜37、454、455〜56としている。

 この切手の発行されている期間中に郵便料金の改正があり、31年3月 1日より印刷物最低料金が5pfから4pfへ、また32年1月15日より葉書が8pfから6pf、封書が15pfから12pfと引き下げられている。前記の新額面の発行はこれに対応するものとみられる。改色の理由は不明である。

 単片では区別しにくいがこの切手は19種すべてコイルで発売されている。ミッヘル専門版には11枚ストリップ(未使用)の評価が記載されているがすべて高価である。

 切手帳及び切手帳用シートが発行されている。切手帳及び切手帳用シートが発行されている。切手帳は28年と30年に5pf、8pf、15pfを組み合わせたもの、32年に4pf、5pf、6pf、12pfを組み合わせたものが発行されている。この額面はいずれも葉書と封書の基本料金用である。

 「註」 ドイツの郵便料金制度には、日本と違って近距離(局内)と遠距離の2本立てとなっている。この紹介は部会報第1号に掲載されている。

 このシリーズは単片ならば揃え易い。80黒褐色が一寸見つかり難い程度かもしれない。未使用となるとこれは大変で19種ヒンジ無しは1982年のミッヘルによれば何と3910マルクである。

重品を多くお持ちの方は年号別に整理してみることをおすすめする。意外と初期使用つまり1928年の消印のあるものが少ないことに気がつかれる筈である
定常変種として10f(赤桃色)のエーベルトの眼のつぶれたものが知られており、又8のよこすかしも存在する。
エーベルト図案は1934年6月30日、ヒンデンブルク図案は1935年12月31日使用禁止となった。

3.ラインラント撤兵記念 1930.6.30

大統領シリーズの中間、1930年に連合軍のラインランドからの撤兵完了を記念して、通常切手の8f及び15f(8fはエーベルト)に30.JUNI 1930と加刷した切手が発行された。


ラインランドというのはライン河の左岸、つまりフランスに近い側にあるのだが、昔からドイツ領だったし、鉄工業を中心とするドイツ産業の心臓部でもある。ところが講和条約ではフランスが15年間占領し、その後人民投票で帰属をきめることとして事実上ドイツから奪われた形となっていた。
普仏戦争で恨み骨髄に徹していたフランスとしては軍事上、経済上の両面からここを抑えておきたかったわけである。然し大戦後次第にソビェトの脅威を感じ始めた戦勝国側は、徒にドイツを懲罰的措置をつづけてソ連側に追いやるよりも、ドイツを赤への防波堤とする方が有利と考え始めた。そのため賠償額の大幅な圧縮、ドイツの国際連盟への加入承認といった宥和策をとり始めた。

ラインランドからの撤兵もその一環であったわけである。
そのような事情で発行されたこの切手は記念切手というよりも宣伝切手とも称すべきかも知れないし、発行枚数が明らかにされていないが極めて大量に発行されたらしい。今でこそ未使用一組25マルクと高いがつい最近までは5マルク程度であった。(使用済は90フェニヒ)
この切手には加刷が上部にズレた変種が知られているが、流石にこちらの方はなかなかお目にかかれない。

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